私が勤めている園では、折り紙製作の時間があります。
折り紙が得意な子もいれば、苦手な子もいる。
手先を器用に動かせる子もいれば、折り目を合わせることが難しい子もいる。
そして、そもそも長い時間、じっと椅子に座っていることが難しい子もいます。
それでも、活動としてはみんなで同じ折り紙を使って、同じものを完成させることを目指します。
でも私は、最近よく思うのです。
**「完成させることだけが、この活動の目標じゃないよね」**って。
同じ折り紙を折っていても、一人ひとりの「ねらい」は違う。
最後まで椅子に座っていられた。
先生の話を最後まで聞いてみた。
途中で嫌になったけれど、最後まで諦めずに取り組めた。
わからないところで、「先生、教えて」と自分から言えた。
先生と一緒なら折ることができた。
全部自分で折ることができて、嬉しかった。
「折り紙、楽しい!」と思えた。
それだけでも、十分じゃないでしょうか。
たとえば、きれいに折れることをその子の目標にしてしまったら、折り紙が苦手な子にとっては、折り紙の時間そのものが苦しい時間になってしまうかもしれません。
「ここを合わせてね」
「違うよ、こう折るんだよ」
「先生の話、聞いてた?」
「なんでできないの?」
そんな言葉が増えていく。
もちろん、保育者だって人間です。
30人の子どもたちに一斉に折り紙を教えていたら、思うように進まないこともあります。
一生懸命説明しているのに聞いてもらえなかったり、何度教えても違うところを折っていたり。
「さっき説明したのに」
「どうしてできないんだろう」
「ちゃんと話を聞いてよ」
そう思ってしまうことだって、あります。
私だってあります。
でも、そんなときに少しだけ肩の力を抜いて、その子を見てみたい。
「この子にとって、今の折り紙のハードルはどのくらいなんだろう?」
と考えてみたいのです。
その子にとっては、「最後まで座っている」ことがものすごく大きな頑張りなのかもしれない。
「先生、教えて」と言うことだって、簡単なことではないのかもしれない。
途中で投げ出さずに最後までやってみることが、その子にとっての大きな挑戦なのかもしれない。
だったら、
「きれいに折れなかった」
ではなく、
「最後までやってみたね!」
を認めてあげたい。
「先生に教えてって言えたね!」
「今日は自分でここまでできたね!」
「最後まで座っていられたね!」
「楽しかったね!」
そんな「できた」があってもいいと思うのです。
そして、私は、
折り紙が上手になることよりも、折り紙を好きになることのほうが大切なんじゃないかな
と思っています。
今は上手に折れなくてもいい。
折り紙の時間に「楽しかった」という気持ちが残れば、またやってみようと思えるかもしれない。
「やってみよう」と思えること。
「できた!」と感じられること。
「もう一回やってみたい」と思えること。
保育で育てたいのは、そういう気持ちなんじゃないでしょうか。
もちろん、集団生活の中では、全員の希望通りに活動することはできません。
30人いれば、30人それぞれに合わせることも難しい。
だからこそ、全員に同じことを求めるのではなく、
その子に合わせて、ハードルの高さを少し調整してあげる。
それだけでも、その子の「できた」は増えるのではないかと思います。
そして、これは折り紙だけの話ではありません。
製作も、運動も、歌も、食事も、着替えも。
同じ活動をしていても、子どもたちがそこで頑張っていることは、それぞれ違います。
大人から見れば「同じことをしている」ように見えても、
子どもにとっては、
「初めてできたこと」
「昨日より少し頑張ったこと」
「勇気を出してやってみたこと」
が、きっとある。
だから、完成した作品だけを見て、
「上手にできた」
「できなかった」
で終わらせたくない。
その子が、その時間に何を頑張っていたのか。
そこを見つけられる保育者でいたいと思います。
そして何より。
先生が「できるようにさせなきゃ」と力を入れすぎて、イライラしてしまったら、子どもにとっても楽しい時間ではなくなってしまいます。
先生も苦しい。
子どもも苦しい。
それって、ちょっと違うんじゃないかな。
一度、肩の力を抜いてみる。
「今日はここまでできたね」
それでいい日もある。
私たちは、折り紙のプロを育てているわけじゃない。
30人いれば、30通りの「できた」がある。
その「できた」を見つけてあげること。
「やってみたい」という気持ちを育てること。
そして、何より、
「折り紙って楽しいな」
と思ってもらうこと。
それも、保育の大切な役割なんじゃないかなと思っています。



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