「子どもになめられたらダメだよ」
保育の仕事をしていると、そんな言葉を聞くことがあります。
確かに、子どもは先生によって態度を変えることがあります。
この先生の話は聞くけれど、あの先生の話は聞かない。
優しい先生の言うことは聞かない。
若い先生の話を聞かない。
そんな姿を見ることもあります。
でも、それって本当に
**「先生がなめられている」**のでしょうか。
私は、「なめる」という言葉がどうしても好きになれません。
なめるの反対は、支配すること。
「この先生には逆らえない」
「この先生の言うことは絶対」
そんな関係を作ることが、保育なのでしょうか。
子どもたちは、
「この先生は優しいから、なめてやろう」
なんて、そんなことを考えているでしょうか。
私は、そんなふうには思いません。
先生によって態度が違うことには、きっと理由があります。
その先生なら安心して甘えられるのかもしれない。
まだ、その先生との関係ができていないのかもしれない。
伝え方が、その子に合っていないのかもしれない。
だから、子どもが言うことを聞かないとき、
「あなた、なめられてるよ」
と言われてしまったら、
「もっと厳しくしなきゃ」
と思ってしまう。
声を大きくする。
怖い顔をする。
ルールを増やす。
言うことを聞かせる。
でも、それで子どもが言うことを聞くようになったとして、
それは本当に**「信頼関係ができた」**ということなのでしょうか。
私は違うと思っています。
厳しくして言うことを聞かせることと、子どもがその先生を信頼して話を聞くことは、同じではありません。
もちろん、保育者として譲ってはいけないこともあります。
危険なことは止める。
人を傷つけることは許さない。
必要な場面では、毅然と伝える。
「優しい先生=何でも許す先生」ではありません。
でも、
優しさと厳しさは、怖さとは違う。
子どもに「言うことを聞かせる」のではなく、
「どうして今これをする必要があるのか」を伝える。
「ダメ」と止めるだけではなく、
「どうしたらいい?」を一緒に考える。
何度伝えても聞いてくれないときも、
「この子は私をなめている」
と決めつける前に、
「この子は今、何を伝えようとしているんだろう」
と考えてみる。
そして、子どもたちが自分の言うことを聞いてくれなくて悩んでいる先生に、
「あなた、なめられてるよ」
と言わないでほしい。
「じゃあ、何が必要なんだろうね」
と、一緒に考えてあげてほしい。
「私、子どもたちになめられてるのかも……」
そう悩んでいる先生がいたら、
「なめられているんじゃないよ。まだ信頼関係ができていないだけかもしれないよ」
と気づかせてあげてほしい。
信頼関係は、一日でできるものではありません。
一緒に遊んで、話をして、笑って、時には叱って。
「この先生は、自分のことをちゃんと見てくれている」
そう感じる積み重ねの中で、少しずつできていくものだと思います。
だから、
「なめられない先生」ではなく、
「信頼される先生」を目指してほしい。
そして私たち先輩も、
「もっと厳しくしなさい」ではなく、
「どうしたらこの子と信頼関係を築けるかな」
と、一緒に考えられる人でありたい。
子どもに言うことを聞かせることが、保育のゴールではない。
怖がらせなくても、子どもは育つ。
支配しなくても、子どもは話を聞ける。
時間がかかっても、
「この先生が好き」
「この先生なら話してもいい」
「この先生なら分かってくれる」
そんな関係を、子どもたちと作っていきたい。
「なめられてるよ」ではなく、
「一緒に考えよう」。
そんな言葉が飛び交う保育現場であってほしいと思います。


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